「失敗がこわくて逃げちゃうときは?」——小崎恭弘先生の“こんなとき保育でどうする”
「こんなとき、子どもにどう接したらいいのかな…」
保育をしていくなかで、繰り返し目にするシチュエーションに戸惑ったり、とっさに子どもたちに言葉がかけられなかったりして、「これって大丈夫かな」「何て言えば良かったのかな」と悩まれる方は、少なくないでしょう。
この連載では、大阪教育大学・教育学部准教授の小崎恭弘先生に、現場で働く保育士からの、いろんな質問にお答えいただきます。
第3回のお悩みは、「運動遊びをするとき、失敗をこわがって逃げてしまう子どもがいます。どうすればいいですか?」というもの。保育者として、どのような関わり方をすればいいのでしょうか。
子どもは、なぜ「失敗をこわがる」のか
子どもの“消極性”についての相談は、「運動遊び」に限らず、本当によくあります。
「絵を描くのが苦手」「楽器や歌などの音楽の活動ができにくい」「新しい遊びに挑戦したがらない」など、さまざまな場面で保育者が直面している悩みといえるでしょう。特別な現象ではないとはといえ、特に自分のクラスの子どものこととなると、気になってしまうのもよく分かります。
子どもたちは一人ひとりとても個性的で、みんながとても豊かな存在です。ですが、担任になると、その豊かさを認めながらも、子ども同士を「ついつい比べてしまう」ことがあります。
特に運動遊びは、『できる・できない』がはっきりと分かるので、どうしてもそこに目が向いてしまいますよね。保育者として、結果だけで子どもを評価するつもりはなくても、消極的な姿勢を目にすると「今後もこのような態度がさまざまな場面で見られるのではないか」と不安になるものです。
では、子どもたちはどうして「失敗をこわがる」のでしょうか?まずはこの点を考えてみたいと思います。
赤ちゃん、0歳児はあまり失敗をこわがりませんね。立ち上がることを途中で諦めたりしません。その日のうちにできなくても、根気強く次の日、そしてその次の日と挑戦し続けていき、いつか必ず立つことができる。
これは、立つことへの「飽くなき欲求」があるからです。言い換えれば、「人の本質の一つには、好奇心がある」と考えられます。
赤ちゃんは、色々なものに不思議さを感じ、それに対して興味・関心を示して、自らが関わっていこうとします。時には危険を伴うので、保育者にとってはハラハラドキドキなのですが、本人はそんなことお構いなし。周りのことや大人の視線などは全く気にならず、「自分がやりたいから」する、とても自己中心的な存在なのですね。そして、それで良いのだと思います。
このとき、赤ちゃんの中では「やってみたい!してみよう!」と言う気持ちが全てにおいて優先しているのです。当然ながら「失敗する」ことなど全く想定していない、成功のみを考えている行動だといえます。自己に対する「絶対的な信頼」がある、といえるでしょう。
ところが、年齢を重ねていくと、他者と関わったり自分と他の友達と比べたり、これまでの育ちに色々な要素が加わっていきます。すると、自己に対する「絶対的な信頼」が崩れていくのです。
「失敗したらどうしよう」「うまくできないと恥ずかしい」「友達はできているのに」「先生に笑われる」……つまり、「自信のない状態」が生まれてしまう。これらが集まって抱く感情が、劣等感や不安感です。
特に、自分の自信のないものや苦手なものに対しては、その感覚を強く持ってしまいます。これは大人でも同様の現象ですが、子どもたちはより敏感です。結果、「失敗をするぐらいなら最初からやめてしまう」という行動になってしまうのです。
全てに自信がないのか、特定のものだけかを見極める
このような子どもたちの姿に、保育者はどのように対応すればいいのでしょうか?考えるためには、いくつかの視点が必要です。
まずは、「全てにおいて自信がないのか、特定のものにだけ自信がないのかを見極める」ことです。
苦手な「運動遊び」にだけ消極的なのか、生活や活動の全てにおいて消極的なのか。また、運動の中でも、例えば特定の「鉄棒だけ」「竹馬だけ」なのか、運動全般に対してなのか。
特定のものの場合は、何かできない原因や、これまでの取り組みの中での嫌な体験、うまくいかなかった経験が影響しているかもしれません。
以前私が担任をした子どもで、運動神経がとても良く、運動の活動は何でもできるのに、「竹馬だけ」を嫌がる子がいました。しばらくは特に誘わなかったのですが、あるときゆっくりと話を聞いてみると、「足のお父さん指の間が痛くなる」と言います。とても些細なことなのですが、それが子どもにとっては避ける原因になっていたようです。竹馬は裸足でするもの、とも思っていたようで、「靴を履いてもいいよ」と伝えるととても喜び、すぐに乗れるようになりました。(それも裸足で!)
もちろん、運動全般が苦手で、消極的になっている子どもたちもいます。一つ意識してほしいのは、「苦手なこと自体がダメなわけでもなく、無理やり運動をさせる必要もない」ということです。
子ども一人ひとりの能力は成長の途中であり、変化の可能性も非常に大きいのです。幼児期の資質や志向は、その後の人生に影響を与えはしますが、人生の全てのことが決まるわけではありません。
なので、子どもたちには運動が『できる・できない』を気にするよりも、まずは体を動かす「楽しさ」や「爽快感」などを感じてもらうことが大切だと考えています。保育者は、子どもが特別に「運動」という意識を持たずとも、「遊び」の中からしっかり体を動かせる経験をさせてあげましょう。例えば、鬼ごっこで高いところに上がる「高オニ」を通じて、自然とジャングルジムに登るような機会をつくってほしいと思います。
「失敗が許される」雰囲気をつくる
もう一つ大切な視点は、「失敗」への理解です。
先ほども述べましたが、子どもの本質の一つは「好奇心」であり、「挑戦すること」です。しかし、当然ながら、全ての子どもが全ての場面において成功することはあり得ません。挑戦と同じだけ、いやそれ以上に「失敗」が存在するのです。
今回の質問の中には、“失敗をこわがって”という表現があります。こわがる原因を保育者が生み出してないか、改めて確認してみましょう。
子どもたちの「失敗」や「間違い」を、日々の保育の中でしっかりと受け止める視点や思いはありますか?ついつい「成功」や「うまくできること」に目が向いて、そこばかりを認めたり褒めたりしていませんか?失敗を責めていなくても、成功のみの評価が、失敗を認めにくい文化やルールにつながっているかもしれません。
つまり、「失敗」に対して、保育者がどれだけ肯定的な価値を持てるかが重要なのです。間違えて終わるのではなく、「何度も挑み続ける姿勢」を高く評価し、認めてあげてほしいと思います。
また、意識的に「失敗に対する優しさ」の雰囲気をつくり出すことで、クラス全体もそのような柔らかさを持つことになるでしょう。
許される雰囲気のあるクラスになれば、子どもたちは自ら色々なことに取り組み、「安心して失敗」をし、再び挑戦できます。結果として一人ひとりを、劣等感や不安感からも解放することになると考えられるのです。
加えて、「失敗感の少ない活動や環境の工夫」も、保育における活動では、意識的に取り入れたい視点です。
例えば運動であれば、綱引きや大縄跳びなどの集団の活動が挙げられます。個人のみの活動に比べて失敗がクローズアップされにくいですし、チーム全体での共感的な感覚も育まれます。
これは、製作などでも必要な視点です。幼児の製作活動の一つのポイントは、「誰がしてもある程度の完成度のものになる」ことです。糸引き絵やマーブリング、滲み絵などはその代表的なものだといえるでしょう。
新しい『できる・できない』ではない成長の捉え方を
今回の話で一番大切なのは、「子どもの失敗を保育者がどのように捉えるのか?」の視点です。
今の社会や教育、保育は、ともすれば「うまくやること」に重きが置かれています。別の言い方をすれば、「経済性」や「効率性」です。
しかし、子どもの育ちや子ども自身の価値は、本来それらとは一番遠いところにあります。成長には時間がかかり、また失敗の繰り返しで、非経済的、非効率的なものなのです。だからこそ、その挑戦をきちんと支える必要があります。
ぜひ保育者は、見た目だけの『できる・できない』だけで子どもの育ちや価値を判断せず、プロセスの中での「内面の育ち」や「心情の変化」も、きちんと成長として捉えていただければと思います。
- 小崎恭弘
- 大阪教育大学教育学部准教授。1968年兵庫県生まれ。兵庫県西宮市公立保育所で初の男性保育士として12年間、保育に携わる。NHK Eテレ『すくすく子育て』をはじめ、テレビや新聞、雑誌など多方面で活躍中。年間通して全国で育児指南を披露する子育ての講演を行う。NPO法人ファザーリング・ジャパン顧問。『家族・働き方・社会を変える父親への子育て支援』『子どもの力を伸ばす!! じょうずな叱り方・ほめ方』など単著・共著多数。NECQA(保育士と保育の質に関する研究会)代表。
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