手ぶら登園保育コラム

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“色眼鏡”から始まる保育者のまなざし。想像×共感の先にある「子ども理解」(汐見稔幸)

“色眼鏡”から始まる保育者のまなざし。想像×共感の先にある「子ども理解」(汐見稔幸)

新しい『保育所保育指針』が施行されて、もうすぐ3年。保育はもちろん、学校教育のあり方も変わっていくなかで、「子ども主体」という言葉がより注目されてきています。

「子どもを中心に考えるとき、欠かすことのできないのが『子ども理解』です」

そう語るのは、日本保育学会会長の汐見稔幸先生。一方で、先生は同時に、「子どもはわからない」とするスタンスも大切だと訴えます。

一見反するような2つの考え方に、保育者はどう向き合えばいいのでしょうか。お話を伺いました。

(この記事は、2020年11月に開催された『秋の保育アカデミー』(主催:大友剛/協力:Hoick)のオンライン講義の内容を、メディアパートナーとしてベビージョブ編集部が再構成したものです

『子ども理解』がより重要となる時代に

汐見今、世界中で『教育』のあり方が大きく変わろうとしています。いわゆる「20世紀型」から「21世紀型」へのシフトが進み、日本でもアクティブ・ラーニングなどの言葉の元、さまざまな取り組みが始まっていますね。

この背景には、答えのない問題ばかりが溢れる今の時代に、「大人が主導する」従来の教育では対応しきれなくなってきたことがあります。

教えられた内容をただ覚えるのではなく、目の前の問題を「どうしたら上手くいくだろうか」と子ども同士でわいわい話す。そして、自分たちで問題を解決していくことが「おもしろくてしょうがない」と思えるようになっていく。

そんな育ちの環境をつくるために、教育のなかで「子どもを理解する」ことが今後ますます重要になると私は考えています。

『秋の保育アカデミー』講師の汐見稔幸さん(左)と、主催者の大友剛さん(右)『秋の保育アカデミー』講師の汐見稔幸さん(左)と、主催者の大友剛さん(右)

汐見それは「保護しながら教育していく」=『保育』という意味で、保育者も同じです。大人の指示に子どもが従ってきた「保育者中心型」ではなく、何をどうするか可能な限り子どもたち自身が選んでいく「子ども中心型」の教育環境をつくらなくてはいけません。

では、その環境づくりで何が重要か。私は「保育者の姿勢」、つまり目線や声や言葉が、最も大切だと考えています。

子どもが何かをしようとしたときに、何でもかんでも「危ないからやめて」と止めていたら、子どもはただ自分がいけないことばかりしているって思いますよね。それに対して「わあ、おもしろいことしてるね」と温かいまなざしを向けて、応援するような関わり方ができないかを模索する。そうしたまなざしの違いが、子どもに大きな影響を与えるわけです。

なぜ今、子ども理解が大事になってきたのか(当日の資料より)

汐見ただし、子ども中心の保育とは、園に来たら「今日は好きなように遊んだらいいよ」とさせて、遊んだら「はい、おしまい」というものではありません。

子どもの中に何が育っていて、何が育っていないのか。活動を通じて、子どもに何が残るのか。行事の振り返りから、「◯◯ちゃんと◯◯ちゃんよく喧嘩するけど、どうしたらいいのかな」といったことまで、考えることはたくさんあります。

それをひとつずつ言葉にし、反省をしながら次の活動につなげていく。これを保育の世界では、広く「評価」と呼んでいるんです。

評価=アセスメントに欠かせない「寄り添い」の姿勢

汐見この「評価」には、アイデアを出したり、子どもの姿を保育者同士が語り合ったりすることも含まれます。

ただ少し問題なのは、「評価」と言われると皆さんちょっと身構えませんか? 「他人にいちいち評価されたくないな……」なんて感じてしまうような、ちょっとネガティブなニュアンスがある気がします。

実は英単語では「評価」に相当するいくつかの言葉があるんですね。学校の成績などで思い浮かべる数値や実績の評価は、英語では“evaluation”(エバリュエーション)が使われます。

ここでいう保育の「評価」はそちらではなく、私は“assessment”(アセスメント)という言葉に当たるものが重要と考えています。医療などにおける治療前の「見立て」のことで、保育であれば「子どもや保護者への適切な関わりをするために、できるだけ“公正”に情報を得て、その情報の意味を考えること」と言えるでしょう。

“公正”なので、他人の噂を元に決め付けることがあってはなりませんし、怒っている子どもや落ち込んでいる保護者の話をそのまま受け止めるだけでもいけません。実際の姿を見て、それが「何を意味するのか」を保育者自身で考えるのがアセスメントです。

アセスメントとは?

汐見もう1つ、アセスメントには原意として「傍にいる」という意味もあります。保育でよく使われる「寄り添う」にとても近く、押さえておきたい視点です。

人は誰しも、自分がつらいときに他人からあれこれ言ってほしくない。でも、傍に「私の気持ちをわかってくれる」と思える人がいたら、それだけで救われることがありますよね。

ある児童養護施設の責任者の方が、そうして隣にただいる人のことを『隣る人』と表現しました。人間は誰か『隣る人』がいてほしいこともあれば、誰かの『隣る人』になることもあるというわけです。

映画にもなった『隣る人』(公式サイトより引用)映画にもなった『隣る人』(公式サイトより引用)

汐見評価する、つまり保育者がアセスメントをするときには、この『隣る人』としての姿勢がとても大切だと私は思います。

ただ、アセスメントという言葉はあまり一般的ではありません。評価と言いたくないけれど、アセスメントよりも日常的な言葉で保育を振り返れたらもっといい。

そこで出てくるのが、今回の『子ども理解』です。すなわち、「子どもから丁寧に情報を得て、その意味を考える」こと。子どもを主体とする保育では、これが絶対に必要なプロセスになります。

“色眼鏡”があるから、子どもが見える

汐見『子ども理解』を考えるうえで、いくつか押さえておきたいポイントがあります。1つは、子どもを理解する行為は保育者なら「いつでも誰でもやっている」ものであり、それゆえの難しさがある点です。

例えば私が保育の世界に入ってきた1980年代、こんなシーンを見たことがありました。4歳児クラスのお昼寝で、寝られない子どもがいる。そのとき、「あの子は疲れてないから寝られないんだよね」「園庭10周走っておいで!」なんてことをさせていたんですね。

でも、こういう古い保育が行われて背景に、子どもへの理解が全くなかったわけではありません。そこには「子どもは疲れてないから寝れないんだよ」という理解や、「元気に遊んでしっかり寝る子がいい子だ」などの子ども観が存在していたから、そうした保育が行われていたんです。

“色眼鏡”があるから、子どもが見える

汐見皆さんは今の話を聞いて「私はそんなふうに絶対思わない」と考えるかもしれません。最近では、寝たくない子どもは静かに横で遊ぶ園も多いので、余計にそう感じるでしょう。

ですが、じゃあ皆さんは果たして、「子どもとはこういうものだ」とする考えを全くなしに、純粋に子どもを見ているのでしょうか。

そんなことないですよね。保育者なら誰もが、何らかの子ども観や保育観を持って保育をしています。つまり、「客観的に子どもを見ることは不可能なんだ」と気づくことからしか、実は子ども理解は始まらないわけです。

客観的子ども理解はない!

汐見私たちは私たちなりの先入観、言い換えれば“色眼鏡”で子どもを見ています。そして、その“色眼鏡”を通して子どもの行為の意味をつくっていく。

これは保育に限らず、科学などでも「ここにあるはず」という予見や仮説なしには、新しい発見などできないと言われています。色眼鏡があって初めて、「見てみたい」と思うものが見えてくるわけですね。

ただし保育者にとって大事なのは、自分の色眼鏡だけをもって「私はこの子のことをわかっているんだ」と考えてしまうと、それは理解でなく「支配」になる。その人の手のひらに、子どもを閉じ込めてしまう営みになりかねません。

そうならないためには、「子どもから何かを得たい」「私にはないかもしれない、その子らしい資質から学びたい」という謙虚な姿勢が大切です。そして、別の人の色眼鏡による気づきを良いか悪いかと決めつけることなく、「私にはない色眼鏡だ」と驚きをもって受け止め、実践者として次につなげていくことが重要だと私は考えています。

理解とは「支えどころ」を見つけること

汐見ですから、子どものことはもちろん理解してほしい。けれども、子どもの内面で何が起きているのかを「本当に知ることはできないよ」ってスタンスも同時に持っていてほしいわけです。

ではそうなると、いったい私たちは子どもの何を理解すればいいのか。

ヒントは「理解」という言葉の元となった英語、“understand”にあります。“under”(=下に)+“stand”(=立つ)、これは「下から支えること」に当たると私は考えているんですね。(編注:“stand by”=傍にいる、支えるの意)

つまり、どこを支えてあげればこの子は次に進んでいけるのか。その「支えどころ」を見つけることこそが、保育における『子ども理解』なんです。

理解の原意

汐見子どもに対して、心の深いところで寄り添って味方になること。傍に立ち、子どもの求めているものを感じ取ること。この姿勢があれば、どこを支えればいいのかが見えてきます。

そのとき重要なのは、「こういう子どもはこうだ」という安易な心理学に依存しないことです。そもそも子どもは言葉の数が少ないぶん、大人では感じることのできない匂いや音などからたくさんの情報を得て生きています。

また環境による影響も、理屈でよくわかるレベルから全くわからない無意識のレベルまで多岐に渡ります。「ああしたからあんな結果になったんだよね」と、単純な因果関係で人間のことをわかったつもりはならないでほしいと思うんですね。

科学的には捉えられない世界の豊かさ前回の『夏の保育アカデミー』でも、小西貴士さんが「科学的には捉えられない世界の豊かさ」を指摘しています(残したい「未来」から保育を考える——『夏の保育アカデミー2020』④小西貴士

汐見もちろん、子どもの傍にいると「私はあんなことやるのはごめんだ」って思う行動をする子も出てきます。

でも、そのときも保育者は、「私はこれは好きじゃないのに、この子は何でそんな行為に無情の喜びを感じるんだろう?」って考えながら、まずはその姿を受け止めてほしい。子どもの行為から、いろんなタイプの人間がいることの不思議さやおもしろさを感じて、「こんな可能性を持ってるんだ」と寄り添っていただきたいんですね。

なので、子ども理解とは保育者が子どもの上に立つことでは全くない。逆に、教えてもらってばかりで「子どもの方が上だよ」とする姿勢でもいけません。そうした上下関係ではなく、同じ地平の中できっちりとした横関係を持ちながら、応答的な関わりをしていく必要があると思っています。

ポジティブな「想像共感」が、子どもをより善くしていく

汐見子どもの行為を見て、その内面で起こっていることを想像して、それに共感、受容し子どもが気持ちを充実させる応援団になる。これは別の言い方で、“empathy”(エンパシー)という言葉にも置き換えられます。

エンパシーは、同じく「共感」と訳される“sympathy”(シンパシー)と、少し意味が異なります。シンパシーは理屈を超えて同じような感情を抱くことですが、エンパシーは共感しながら、同時に内面を想像していくものです。

なので、私は「想像共感」「想共感」「想感」などと訳した方がいいなと思う言葉なのですが、例えばブレイディみかこさん(英国在住の保育士)の本に、息子さんが中学校でこのエンパシーを学ぶシーンが出てきます。

そこで息子さんは、エンパシーを「自分で誰かの靴を履いてみること」と表現している。他者の気持ちをわかろうとする点で、これは『子ども理解』に似た考え方だと思います。

「EU離脱や、テロリズムの問題や、世界中で起きているいろんな混乱を僕らが乗り越えていくには、自分とは違う立場の人々や、自分と違う意見を持つ人々の気持ちを想像してみることが大事なんだって。つまり、他人の靴を履いてみること。これからは『エンパシーの時代』、って先生がホワイトボードにでっかく書いたから、これは試験に出るなってピンと来た」

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)より引用。2019年ノンフィクション本大賞の受賞作品

汐見想像を働かせるときには、相手を否定せず「善く」見る姿勢がとても大切になります。

人間とはどの角度から見るのか、どういう色眼鏡でもって見るのかによって、善く見えたり悪く見えたりするからです。最初から「そういうことはやめなさい」「悪いことはしちゃダメ」と見てしまったら、共感なんてできなくなりますよね。

「私はいいとは思えないけど、でもこれをやりたくなるんだよね」と言って、まずは子どもに近づいていく。ネガティブな見方をやめることで、ダメだと思っていたものが急にポジティブに見えることは本当にたくさんあります。

子どもを善く見るということ

汐見人間は悪く言われて善くなることはありません。私は長く教育に携わってくるなかで、子どものことを「最近の子どもはこんなこともできない」とか「今どきの親はどうなってるの」なんて悪口を言うようになったところから、レベルは下がっていくと感じてます。

逆に「あそこの先生方、子どものいいところを見つけたって毎日わーわー報告しあってるね」って言われる園では、必ず保育のレベルが上がっていきます。

深い味方として、子どもの様子をポジティブに語りあうようになればなるほど、子ども自身も善くなっていく。そういう営みであることを含めての『子ども理解』である点を、皆さんにはぜひ知っておいていただければと思います。

汐見先生の講演全体を表すグラフィックレコーディング①
汐見先生の講演全体を表すグラフィックレコーディング②
汐見先生の講演全体を表すグラフィックレコーディング③
汐見先生の講演全体を表すグラフィックレコーディング④『秋の保育アカデミー』汐見先生の講演全体を表すグラフィックレコーディング(保育アカデミー提供)

※ 90分の講演内容から、汐見先生のメッセージを記事として再構成しました

講師:汐見 稔幸(しおみ としゆき)
日本保育学会会長。東京大学名誉教授、白梅学園大学名誉学長。専門は教育学、教育人間学、保育学、育児学。保育についての自由な経験交流と学びの場である『臨床育児・保育研究会』を主催。21世紀型の身の丈に合った生き方を探るエコビレッジ『ぐうたら村』を建設中。著書に「汐見稔幸 こども・保育・人間」など多数。
企画・主催:大友 剛(おおとも たけし)
ミュージシャン&マジシャン&翻訳家。「音楽とマジックと絵本」で活動。NHK教育「すくすく子育て」に出演。東北被災地に音楽とマジックを届ける『Music&Magicキャラバン』設立。著書に「ねこのピート」「えがないえほん」「カラーモンスター 」など多数。YouTubeで発信中。

(構成・執筆/佐々木将史

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